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東京高等裁判所 昭和46年(う)2155号 判決 1972年1月19日

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、<略>控訴趣意書に記載されたとおりであるからこれを引用する。<以下略>

そこで記録を調査し、当審における事実取調の結果をも加えて考察すると、本件は横断歩道上の横断者に対する不注意であつて過失の程度も重く、被害者には特段の落度がなく、しかも生じた結果も重大である。(尚本件の訴因には加療約一年を要する頭部外傷等の傷害を負わせた旨記載されていたが、前記証人西浜義信は既に原審において、被害者の病状が全く回復の見込なく廃人同様である旨供述していたのであつて、この点は既に原審において明らかになつていたのに、原審検察官は訴因変更の請求をすることなしに弁論を終わり、判決に至つている。当審において検察官は傷害の程度に関する訴因を、「治療の見込のない精神障害及び運動障害などの傷害」に変更することを請求したので検討すると、業務上過失傷害罪における傷害の部位、程度は構成要件事実として訴因の内容をなすとともに量刑事情でもあるところ、当審における検察官の訴因変更請求が量刑事情として被告人の刑責が重いことを主張するためになされたことは、検察官の控訴趣意が量刑不当を内容とするものであるところから明らかである。そして量刑の資料は敢えて訴因の記載に限定されることなしに、記録ならびに証拠に現われた事実を援用できるのであつて、事実誤認を主張しようとする場合と異つて敢えて訴因の変更を請求し、許可された上でなければ主張できないものではない。なお傷害の部位、程度は既に訴訟記録に現われている事実であるから、当審において新たな事実を主張するものではないが、そのような事実であれば刑事訴訟法第三八二条の二第一項の趣旨にかんがみ、原審においては訴因の変更請求をなし得なかつた事情があることを必要とすると解すべきであつて、そのような事情なしに当審においてこれを主張することは事後審の建前えから許されないものと解するのが相当である。それ故訴因変更の請求はこれを許可しない。)被害者は従前特段の疾病もなく郵便局に勤務していたのに一瞬の事故により重大な頭部外傷を受け、しかも精神の障害を発して治癒の見込もたたず、一年半を経過して精神病院の病床にあるというのは、まことに悲惨なことであつて、被害者を老後の頼りとしていた夫西浜義信の悲歎も察するにあまりあるところである。原判決が示談が成立していないとはいつても、被告人の勤務する会社において被害者が治癒するまでの一切の費用をもつことが確実であり、被害者側も処罰を望んでいない等の理由を挙げて刑の執行を猶予したのは被害の重大さ、過失の大きさ、示談内容及びその履行の保証が十分でないこと等から考えると異例の寛刑というべきであり、検察官の量刑不当の主張も一応理由があるようにみえる。しかしながら当審において取調をなした、被告人の雇傭先株式会社日広連と前記西浜義信との間の覚書並びに証人魚住藤親の証言によれば、右会社において被害者の回復するまでの治療費、雑費全部の負担をすること並びに西浜義信に対する慰藉も誠意をもつて解決することを確約しており、右約定は従前の支払の経緯から見て確実に履行されるものと認めて差支えない。また西浜義信においても処罰を望んでおらず、その上被告人は昭和四三年一〇月一五日大阪府警察本部長から過去一三年間無事故ということで模範運転手の表彰を受けていて、道路交通法違反の前科も駐車違反の罰金一件があるに止まること、被告人は深く反省していること等を考えると、現在においては原判決の科刑が不当に軽いともいうことはできないし、またもとより不当に重いとはいえない。趣旨は何れも理由がない。

よつて、刑事訴訟法第三九六条により本件各控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(津田正良 青柳文雄 菅間英男)

<参照>原審判決の主文ならびに理由

主文

被告人を禁錮一年に処する。

この裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(事実)

被告人に、自動車運転業務に従事するものであるが、昭和四五年六月一日午前六時三五分ころ、普通乗用自動車(足立五ふ四五二一号)を運転し、与野市大字下落合四三二番地先の道路を川口方面から大宮市方面に向け時速約五〇キロメートルの速度で進行中、進路前方の横断歩道を左方から右方に歩行横断を開始している西浜よし子(当時五四年)を約30.3メートル前方に認めたのであるから、自動車運転者としてはただちに減速徐行して横断歩道の直前で一時停止し、同人の通行を妨げないようになすべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、不注意にも右西浜よし子が自車に気付いて立ち止つてくれるものと軽信し、減速徐行停止する措置をとらないまゝ同一速度で進行した過失により、横断し続ける同女と約一三メートルに接近して初めて危険を感じ、あわてゝハンドルを右に切るとともに急停車の措置をとつたが、まにあわず、同女に自車の左前面部を衝突させ、よつて、同人に対し治療に約一年間を要する頭部外傷などの傷害を負わせたものである。

(証拠省略)

(適条省略)

(執行を猶予した理由)

本件は横断歩道上において被害者に重傷を負わせたものであつて、被告人の刑事責任は重大であるといわなければならないが、一方、事故後被告人はいたく前非を悔い改俊の情が顕著で、再三被害者を見舞い、深く詫びるとともに、慰藉につとめ、現在被害者が治療中のため示談は成立に至つていないが、被告人の勤務先の会社において被害の完全な回復を果すであろうことが確実視され、被害者側も被告人らの誠意を認め今では被告人の処罰を望んでいないこと、被告人には前科のないことは勿論会社の勤務成績も優秀で、自動車運転歴一五年、その間交通違反の所為にでたことは殆んどなく且つ警察本部長から一三年無事故表彰を受けていること等のほか、被告人の経歴、家族の状況、現在の心境、その他一切の諸事情を綜合考量すると、本件被告人に対してはここで実刑をもつて臨むよりは今回のみは被告人の深い反省と自戒とを期待して執行猶予を付するのが相当であると思料した。

よつて、主文のとおり判決する。

(昭和四六年七月九日 浦和地方裁判所)

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